1. 欧州委員会、排除型市場支配的地位の濫用に関するガイドライン案を 公表
本ガイドライン案の背景
EU の機能に関する条約(Treaty on the Functioning of the European Union、以下「EU 機能条約」) 102 条は、EU の域内市場で活動する事業者による市場支配的地位の濫用を禁止しています。
2024 年 8 月 1 日、欧州委員会は、EU 機能条約 102 条の排除型市場支配的地位の濫用 (exclusionary abuse)に関するガイドライン案(以下「 本ガイドライン案」)を公表しました 1。本ガイドライン案 は 2024 年 10 月 31 日を期限とした意見公募(パブリックコメント)に付されています。
本ガイドライン案は、EU 機能条約 102 条の定める排除型市場支配的地位の濫用に関する EU 裁判所 の判例について、欧州委員会の理解を整理するものであり、欧州委員会は本ガイドライン案の公表により、 「法的安定性を高め、事業者が、自らの行為について、EU 機能条約 102 条の定める排除型市場支配的 地位の濫用に該当するか否かを自ら判断することに資する」ことを意図しています 2。本ガイドライン案は、加 盟国の裁判所や競争当局を法的に拘束するものではないものの、EU 機能条約 102 条の適用に関するガ イダンスを提示することも意図しているため、本ガイドライン案は少なくとも加盟国の裁判所及び競争当局に 今後参照されると予想されます 3。
本ガイドライン案公表の背景として、欧州委員会は、2008 年に排除型市場支配的地位の濫用に対する 執行の優先順位に関するガイダンス(以下「2008 年ガイダンス」)を公表しています。2008 年ガイダンスは、 欧州委員会が経済分析を用いて対象となる行為の潜在的な影響を分析する、市場支配的地位の濫用に 対する「効果に基づく(effects-based)」アプローチを採用していました。その後、EU 裁判所は 2008 年ガイ ダンスと同ガイダンスが定める「効果に基づく」アプローチを支持しましたが、このアプローチは必ずしも欧州 委員会の期待どおりに機能しませんでした。これは、「効果に基づく」アプローチが、支配的事業者に対して、 効率性に基づいてその行為を正当化する大きな余地を与え、欧州委員会にとっては、「濫用」の立証に関 するハードルを高めることになったためです 4。
2008 年ガイダンスとは対照的に、本ガイドライン案は、「効果に基づく」アプローチから離れるべきとする従 前からの欧州委員会のスタンスを反映して、市場支配的地位の濫用に対する「形式に基づく(formbased)」(又は「法的(legalistic)」な)アプローチに重点を置いています。これは、具体的には、欧州委員会 が特定の類型の行為について濫用的であることを推定することを認め、支配的事業者側に反証責任を負 わせるアプローチです 5。
EU 機能条約 102 条の分析枠組み
本ガイドライン案は、EU裁判所が排除型市場支配的地位の濫用を評価するために用いる分析枠組みに ついて、欧州委員会の理解を整理するものです。
支配的事業者による行為が濫用行為に該当するかどうかを判断するためには、まず、その事業者自体 が「支配的」であるかどうか(単独の事業者によるか、「共同的市場支配(collective dominance)」のため行 動する複数の事業者によるかのいずれかに該当すること)を確定する必要があります。
当該事業者が「支配的」と認定されたことを前提として、本ガイドライン案は、支配的事業者による行為が 濫用行為に該当するかどうかについて、以下の 2 つの基準を定めています。
- 当該行為が能率競争(competition on the merits)から逸脱しているか
- 当該行為が排除的効果(exclusionary effects)を生じ得るか 6
これらの基準に係る判断のために、本ガイドライン案は以下の 3 つの行為類型を導入しました。
- 能率競争の範囲外にあり、かつ、その行為が当該事業者にとって経済的利益を有しないことから、 排除的効果を有すると推定できる行為(この推定は「極めて例外的な場合」にのみ反証可能とさ れます)(Naked Restrictions、以下「剥き出しの制限」)
- 「特定の法的基準」を満たすことから、能率競争の範囲外にあり、かつ、排除的効果を持ち得ると 推定できる行為(Presumptively Exclusionary Conduct、以下「推定的排除的行為」) 7
- 欧州委員会が「能率競争から逸脱し」、かつ、「排除的効果を有する」ことを証明する必要がある 行為(以下「その他の行為」)
支配的事業者の行為が上記(i)(ii)の 2 つの基準に基づいて濫用行為を構成すると評価される場合であ っても、当該事業者は、当該行為が客観的に正当化され、かつ、相当であること、又は消費者に利益をもた らす効率性の観点からの反証をすることは可能です 8。
また、本ガイドライン案は、EU 裁判所の判例の判断対象となった特定の濫用類型(複数製品に関するリ ベートや自己優遇など)について特定のセクションを設けており、これらの類型については、以下で詳述する 一般的な法的枠組みよりも具体的な分析を必要とすることに留意する必要があります 9。
剥き出しの制限
剥き出しの制限には、次のような行為が含まれます。
- 支配的事業者による顧客への支払であって、顧客が、支配的事業者の競争者が提供する製品 を用いた製品の発売を延期又は中止することを条件とする支払
- 支配的事業者による販売業者に利益をもたらす割引を撤回するとの脅しによる、支配的事業者 と競争関係にある製品を自社製品に変更することを内容とする販売業者との合意
- 競争者が使用するインフラの支配的事業者による能動的な解体 10
このカテゴリーに該当する行為は、本ガイドライン案における反競争的行為の最も悪質な例であることから、 特に法的な議論を引き起こすものとは思われません。また、これらの行為が EU 機能条約 102 条に適合す る行為として認められる可能性が極めて低いことは、EU 裁判所の判例法理からも明らかと考えられます。
推定的排除的行為
剥き出しの制限とは対照的に、排除的行為と推定される行為というカテゴリーの導入は、本ガイドライン案 が発表されて以来、多くの議論を引き起こしています。
推定的排除的行為は、(a) 専属的供給又は専属的購入契約、(b) 排除条件付きリベート、(c) 略奪的 価格設定、(d) 負のスプレッドが存在する場合のマージン・スクイーズ 11、(e) 特定の形態の抱き合わせ販 売が対象となり、それぞれについて「特定の法的基準」があります 12。
「特定の法的基準」を満たす場合は、対象となる行為の排除的効果が推定されます。もっとも、対象とな った支配的企業が、特定の状況において、当該行為が排除的効果を持ち得ないことを裏付ける証拠を提 出することによって、当該推定に対する反証を試みることは可能です。
本ガイドライン案に対しては、主に、排除的行為と推定される行為に該当する行為の全てが直ちに排除 的効果を持つと推定できるという確立した法理はない(例えば、専属的供給又は専属的購入契約など)とい う批判があります。
その他の行為
本ガイドライン案は、「能率競争から逸脱する行為」を広範に定義しています。例えば、「原則として、消費 者がより低い価格、より良い品質、及び新しい又は改良された商品又はサービスのより広い選択から利益を 得る競争状況に関係する、経済的事業者の正常な競争の範囲内での行為」も含むものと定義されていま す 13。
本ガイドライン案は、「能率競争から逸脱する行為」の判定のための一義的な基準は提供せず、欧州委 員会が評価にあたって考慮できる一般的な要素について非網羅的なリストを提示しています 14。特に注目 すべき要素の 1 つは、「支配的企業と同程度に効率的な仮想的競争者(as-efficient competitor)が同じ 行為を採用できるか否か」です 15。これは「AEC テスト」と呼ばれ、欧州委員会によれば、支配的企業が課 している価格水準とそのコストを比較し、同程度に効率的な仮想的競争者が支配的企業による濫用的とな り得る価格設定と競争した上で利益を生むことができるかどうかを評価するテストとされています。従来、 AEC テストは市場支配的地位の濫用を確定する際に最も重要視されてきましたが、欧州委員会は、本ガイ ドライン案において、AEC テストの重要性を後退させようとしているようにも見受けられます。
現に、本ガイドライン案は、AEC テストについて、ある行為が能率競争から逸脱しているかどうかを評価す る際に考慮すべき 6 つの一般的(かつ非限定的)な考慮要素のうちの 1 つとして簡潔に言及するほかは、 AEC テストについてのガイダンスは略奪的価格設定、マージン・スクイーズ及び特定の条件付きリベートに 関する事例に適用されるものに限定して提示するに留まります。これは、欧州委員会が、ある行為が能率 競争から逸脱しているかどうか、及び/又は排除効果をもたらす可能性があるかどうかを評価する上で、 AEC テストの有用性が限定的であると捉えていることを示唆するものといえます。欧州委員会は濫用に該 当し得る事例を審査する際に AEC テストを実施することを義務付けられているわけではないものの、EU 裁 判所は、ほとんどの類型の排除型市場支配的地位の濫用事例において、AEC テストを欧州委員会が重要 視すべき基準としてきたため、本ガイドライン案における AEC テストの軽視にも批判が向けられています。
最後に、本ガイドライン案によれば、対象となる行為について排除効果をもたらす可能性があることを欧 州委員会が立証する必要がある場合、要求される証明の程度は低いと説明しています。具体的には、欧州 委員会は、排除効果が「仮定的なものを超える」ことを証明するだけでよく、問題となっている行為が実際に 排除効果をもたらしたことの証明までは不要としています 16。
本ガイドライン案の重要な注目点
本ガイドライン案は、排除型市場支配的地位の濫用に関する EU 機能条約 102 条の法理に関する欧州 委員会の見解について、有益かつ期待される洞察を提供し、これまで幾度となく示唆されてきたとおり、「効 果に基づく」アプローチから「形式に基づく」アプローチへと移行しようする欧州委員会の意図を明確に示すも のです。
一方で、上記の広範な推定的排除的行為や AEC テストの軽視などに見られるように、本ガイドライン案 に対しては、EU 裁判所による関連する法理を正確に要約するものではない、あるいは、欧州委員会の新た な政策目的を達成するために法理の一部を選り好み(cherry pick)しているという、批判もあります。
本ガイドライン案は、公式なガイドラインとして公表された場合、EU 機能条約 102 条の解釈において各加 盟国の裁判所に影響を与えるものと予想されますが、法的な拘束力はなく、EU 裁判所の解釈が最終的な 結論を示すことになります。
2024 年 10 月 31 日を期限とした意見公募(パブリックコメント)に対して、欧州委員会がどのように反応す るか、また、ガイドラインの最終版に大きな修正がされるかどうかについても、引き続き注目されます。
2. 欧州委員会、外国補助金規則(FSR)に基づく詳細調査(二次審査) での最初の承認(クリアランス)を発表
背景
2024 年 9 月 24 日、欧州委員会は、Emirates Investment Authority(以下「EIA」)が支配する企業で あり、アラブ首長国連邦に本社のある Emirates Telecommunications Group Company PJSC(以下 「e&」)による PPF Telecom Group B.V.(チェコ事業を除く。以下「 PPF」)の買収を、一定の誓約事項の遵 守を条件として承認しました 17。
これまでの当事務所の欧州法務ニュースレターでの解説のとおり 18、EU の外国補助金規則(Foreign Subsidies Regulation、以下「FSR」)は、EU 加盟国に対する何十年にもわたる EU の厳格な国家補助規 制(State Aid Control)の下での補助金の規制とは対照的に、非 EU 企業に提供される補助金のほとんど が規制されていませんでした。この対照的な状況は、FSR が対処しようとする域内市場の「歪曲」を生じさ せていると指摘されており、FSR はかかる状況を改善することを目的としています。
これまでもご紹介してきたとおり、FSR は、M&A 取引に関して、(i) 合併当事会社、(買収)対象会社又 は合弁会社の少なくとも一社が、前会計年度に EU 全体で少なくとも 5 億ユーロの売上高を計上しており、 (ii) 企業結合の当事者である企業が、過去 3 年間に合計 5000 万ユーロを超える外国からの資金的貢献 を受けている場合、企業結合の当事企業に届出義務を課しています。
本件も FSR による届出義務の対象となりました。具体的には、まず、PPF は、EU の複数の加盟国にま たがって事業を展開している電気通信事業者であり、その EU 売上高は売上高の基準である 5 億ユーロを 超えていました。また、e&は、本件の買収を支援するため、アラブ首長国連邦からの無制限保証及び同国 が支配する銀行からの融資を受けており、この経済的支援は外国からの資金的貢献の基準である 5000 万 ユーロを超えるものでした。
欧州委員会は、e&はアラブ首長国連邦から外国補助金を受けているものの、e&による PPF の買収は、買収のプロセスにおいて、競争に実質的又は潜在的に悪影響を及ぼすことはないと結論付けました。すな わち、e&は PPF の買収に関する唯一の入札者であり、かつ、買収を進めるための十分な自己資金を有し ていたことから、外国補助金が買収のプロセスにおける結果を変えるものではなかったと判断されました。
もっとも、欧州委員会は、本件の外国補助金が、 買収後の域内市場における競争に歪みをもたらす可能 性があると結論付けました。この結論を導くにあたり、欧州委員会は、国家による無制限保証が「最も歪曲 的である可能性が高い」と考えられることを指摘しています 19。欧州委員会は、かかる無制限保証が、当事 会社の、域内市場における活動のための資金調達能力を人為的に向上させ、リスク耐性を高めるという事 実を指摘し、これにより、当事会社の事業を拡大する能力が、外国補助金を受けない同規模の事業者を超 え、他の市場参加者との関係において公平な競争条件を歪めることになるとしています。
欧州委員会が認容した誓約事項
本件の外国補助金が域内市場を歪めると判断したものの、欧州委員会は当事会社が提案した以下の誓 約事項を認容し、条件付きクリアランスを行いました。
- e&の定款が通常のアラブ首長国連邦の破産法から逸脱しないことを約束し、それによって無制 限保証による利益を排除すること。
- 欧州委員会による審査を経た一定の例外(例えば、「緊急資金」が必要な場合)を除き、EIA 及 び e&から PPF に対する域内市場での活動に関するいかなるリファイナンスも禁止すること。
- FSR の下で届出義務を生じない将来の買収についても e&が欧州委員会に通知すること。
これらの誓約事項は今後 10 年間有効であり、欧州委員会はこれをさらに 5 年間延長することができま す。
欧州委員会は、これらの誓約事項を受け入れるにあたり、e&と EIA が企業結合後の域内市場での活動 に外国補助金を振り向けることができないこと、及び欧州委員会が特定のリスク分野に関して十分なモニタ リングメカニズムを確保できたことにつき、満足していると表明しました。
本件の実務への重要な示唆
本件のクリアランスに関する発表は、EU 域内で活動するディールメーカーから概ね歓迎されています。
まず、実質論としては、本件は、欧州委員会が FSR の審査に関してプラグマティックなアプローチをとる 意思を示したものと評価できる点、また、外国補助金が域内市場に影響を及ぼすことを防ぐための行動的 誓約事項の提案を当事会社から受け入れる余地を示した点において重要といえます。
また、手続論としても、欧州委員会の決定は、長期の届出前事前相談を経たものではありますが、2024 年 12 月 4 日に予定されていた詳細調査期間が終了するよりも前に発表されたことは注目されます。今回、 予想よりも早期に欧州委員会によるクリアランスがなされたことは、いかなる調査についても、早期の段階か ら欧州委員会と事前相談を行い、誓約事項の提案も検討することの重要性を改めて示すものです。
今後は、欧州委員会から公表予定の本件の決定全文を検討することで、欧州委員会の判断理由からよ り重要な教訓を得ることも重要になると考えられます。
3. 最近の論文・書籍のご紹介
- 'Chambers Global Practice Guides' on Cartels 2024 - Law & Practice 2024年7月(著者:江崎 滋恒、ムシス バシリ、石田 健、臼杵 善治)
- GCR - Market Review - Cartels 2024 – Japan 2024年5月(著者:江崎 滋恒、ムシス バシリ、石田 健)
- Chambers Global Practice Guides - Venture Capital 2024 2024年5月(著者:戸倉 圭太、菅 隆浩、金子 涼一、角田 匠吾)
- 欧州コーポレート・サステナビリティ・デュー・ディリジェンス指令の採択 2024年5月(著者:齋藤 宏一、清水 亘、横井 傑、金子 涼一、藏野 舞、長谷川 達)
- Competition Inspections in 25 Jurisdictions - Japan Chapter 2024年3月(著者:中野 雄介、ムシス バシリ、石田 健)
Footnotes
1 なお、本ガイドライン案は、「搾取的濫用(exploitative abuse)」の事例に関する指針を提供するものではありません。
2 本ガイドライン案 8 段落
3 本ガイドライン案 8 段落
4 欧州委員会は、2008 年ガイダンス-競争政策概要 No.1/2023 の「EU 裁判所が認めた実質的な法的基準の強化」によっ て引き起こされる「望ましくない結果(undesirable outcome)」に言及しています(こちらを参照)。
5 2023 年 3 月、欧州委員会は、2024 年に EU 機能条約 102 条に関する新しいガイドライン(すなわち、本ガイドライン案)を 公表すると発表し、本ガイドライン案が導入されるまでの間、2008 年ガイダンスを(パブリックコメントを経ずに)修正しています。
6 本ガイドライン案 45 段落
7 特定の法的基準を満たす行為と推定的排除的行為は重複しているものの、特定の法的基準のいずれかを満たすにもかか わらず、推定的排除的行為として分類されない可能性のある特定の行為があります。したがって、特定の法的基準と推定的 排除的行為は異なるものとして扱われることになります。
8 本ガイドライン案 48 段落
9 本ガイドライン案 4 節
10 本ガイドライン案 60(c)段落
11 関連する川下市場において活動している垂直統合企業が投入材に対して課す価格と、当該投入材を組み込んだ自己の 最終製品の小売価格との間のマージンがマイナスであり、川下の競争者が利益を上げるために当該投入材を利用することを 妨げる場合を意味します。
12 本ガイドライン案 60(b)段落
13 本ガイドライン案 51 段落
14 本ガイドライン案 55 段落
15 本ガイドライン案 55(f)段落
16 本ガイドライン案 61 段落
17 e&による PPF の買収を条件付きで承認する決定に関する欧州委員会のプレスリリースについては、こちらを参照
18 FSR の詳細については、当事務所の欧州法務ニュースレター(2024 年 9 月号、2024 年 5 月号、2023 年 3 月号、2022 年 8 月号)を参照
19 これは、2024 年 7 月 26 日に欧州委員会によって公表された FSR のいくつかの主要な側面に関する質問と回答からな る職員作業文書(以下「SWD」)で確認されました。SWD については、こちらを参照
The content of this article is intended to provide a general guide to the subject matter. Specialist advice should be sought about your specific circumstances.