WIPOとは「世界知的所有権機関」の略称であり、WHO、WTO等と共に、国連の専門機

関であり1970年に成立、1974年に国連の専門機関となっている。日本は1975年にWIPOに加盟している。

WIPOの本部はスイス・ジュネーブにあり、様々なミッションを有しているが、一言で言うと、世界の知的所有権政策の方向性を決めるのが本来の仕事である。WIPOへの加盟国は193ヵ国(2020年現在)となっている。2021年現在の事務局長は、ダレン・タン氏である。なお、東京にはWIPO日本事務所がある。

WIPOの前身はBIRPI(知的所有権保護合同国際事務局:Bureau Internationaux Reunis pour la Protection de la Prorpiete Intellectulle)であり、RIRPIはベルヌ条約(著作権法)及び、後述のパリ条約(産業財産権全般)の管理のために1893年にスイス・ベルンにおいて設立された。初代事務局長は、パリ条約に関する法学者として特許実務家、法学者の間では有名なへオルフ・ボーデンハウゼン氏(Georg Bodenhausen)である。ちなみにボーデンハウゼン氏はオランダ出身である。

「世界の知的所有権政策の方向性」は、例えば、条約の創設、WIPO総会における各国合意の形成、国際的ガイドラインの創設、各国への支援協力、国際的な情報の交換等によりなされる。

「条約」の特許分野での代表格はPCT(特許協力条約)である。この条約は、https://kimurapartners.com/uniqueness/"target=_blank>世界の知的所有権の国際保護の基礎を形成する「パリ条約」を基礎として、多数の外国での特許保護を手続の面から簡略化を図った条約であり、現在、多くの締約国固民が外国で特許等の保護を得ようとする場合に広く利用されている。

WIPOはPCTの運営に非常に情熱を持っている。「PCTの創設者」として専門部署(PCT部門)を持っており、PCTをよりユーザーフレンドリーな条約にすべく、1971年の条約成立以来、各種の改正を継続的に行ってきており、結果的にPCTは、改正を重ね、条約本法、規則、書面のフォーマットを規定する様式集に至るまで、非常に精緻な「条約法」となっている。

WIPOは国際機関であり、WIPOの職員は国際公務員である。職員は各国から集まった人々により構成されており、日本の特許庁で審査官、審判官をされている方々も「出向」の形で勤務されている。このような人々は、例えば、各国特許庁の国際課に配属された人々が、WIPOに派遣され、数年WIPOで勤務する中でそのままWIPOに就職する、というようなパターンもある模様である。ともかく、様々な国の元特許庁職員の方々がWIPOには勤務しており、正に「国際機関」である。

WIPOの本部ビルは、ジュネーブのレマン湖を見下ろす郊外にあり、すぐ近くには国連のジュネーブ事務局(United Office at Geneva)、WHO、赤十字本部、ITC等のビルがある。WIPO本部ビルは、WIPOの活動範囲の拡大に伴い、現在もなお拡張中である。

以下、WIPOとの関係で「特許ハーモナイゼーション」の流れを見ていく。

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